Wed, Aug 29

  • 14:37  前を歩いている女の子がめっちゃいい匂いすると思って享受していたら、実はよい匂いを発しているのは女の子よりさらに前を歩いていたおっさんだった。
  • 14:38  この事態は私に、本性と存在との関係について反省を要求しないではいない。
  • 14:44  ギリシア哲学では、事物は本性であることにおいて存在する、とされた。猫は猫として、猫性において存在し、人は人として、人性において存在する。
  • 14:49  ところがイエス・キリストは人であると共に神である。キリストは人として人性において存在する。キリストは神として神性において存在する。キリストは二つの実体を持つことになってしまう。
  • 14:53  しかしそれは「父なる神と子なるキリストと聖霊とが三つの独立した位格を持つと共に同一の実体である」というキリスト教の三位一体説と決定的に矛盾する。ギリシア存在論においては、キリストの神性をとれば人性は否定され人性をとれば神性が否定されるのである。
  • 14:58  三位一体説を維持するためには、存在の基体を本性から解放するしかない。ギリシアで本性があって個体(個的存在)があるとされたところを、キリスト教は先に個体があってそれがそのつど本性を担う、というように転倒させるのである。
  • 15:00  このとき、いかなる本性からも解放された個的存在(位格)が発生する。先の、よい匂いのおっさんの話に差し戻せば、まず、女の子は女の子性(いかにも女の子から発せられそうなよい匂い)において女の子である。
  • 15:02  おっさんはおっさん性(いかにもおっさんから発せられていそうなよくない匂い)においておっさんである。けれども今や位格はいかなる本性からも解放されている。女の子は単に女の子であり、おっさんは単におっさんである。おっさんという剥き出しの位格が、よい匂いという本性を担うのである。
  • 15:14  と、位格と実体のちがいがわかっていない。位格はヒュポスタシスで実体はウーシアだが…
  • 15:40  RT @hairlybastard: @hyoro おっさん臭はおっさん本性そのものかいな?たんなるひとつの性質にすぎないのではないか。
  • 15:43  @hairlybastard はい、違うと思います。実はおっさんからよい匂いという経験は、よい匂いこそここでのおっさん臭だったということですから、おっさん臭(おっさんに普遍妥当する臭い)はなく、その都度よい匂いや悪い匂いを担うということだと思います。  [in reply to hairlybastard]
  • 15:44  りべるたんにおります。もっと早く来るべきであった…。
  • 16:13  菅谷さんの寝顔を見つめながら机に向かう家族ごっこ
  • 16:16  @hairlybastard けっこうむつかしいと思います。事物の本性、本質は認識に先立つか?例えば一度も怒ることのない温和な人が亡くなったとします。日記が見つかって勝手に読んでみると、些細なことに苛立ってばかりいた心象が記録してあったとする。  [in reply to hairlybastard]
  • 16:18  @hairlybastard その人はやはり温和な人なのか、それとも実は怒りっぽい人なのか。前者なら認識が本性を規定する、後者なら本性が認識に先行することになる。  [in reply to hairlybastard]

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