Sat, Jan 28

  • 00:30  ロスジェネの無職が一気に勝ち組へと駆け上がる方法(実話) http://t.co/iV8QF87LNPOを活用して「コネクター」になろう」←ここ面白い。コネってお金かかんないから反って学生やニートにとっていちばん手に入れやすいのかも
  • 10:27  @1234120_AB もちろん一般的にはぐすぐず躊躇っている体制派の人々に対して、明晰で歯切れのよい言葉をズバッと投げかけることが批評性であるとされる。でもグローバリズムが益々猛威を振るう今日においてはそうではないのではないか。
  • 10:33  @1234120_AB ここでグローバリゼーションとは「国境を越えた流通の加速・激化そのもののこと」だ。流通をいよいよ速く回すためには細かな差異を否定して規格を統一し、ローカルな障壁を取り除き、制度をより判明でフラットなものに変えていけばよい。
  • 10:43  @1234120_AB 巷間に溢れるグローバリスト諸賢は「流通の加速」を何よりもよいと信じている。状況は「待ったなし」であるから、ローカルな枠組みを破壊しグローバル・スタンダードに準ずるべきである、世界共通の英語やスキルを身に付けよ、
  • 10:44  @1234120_AB 競争を勝ち抜いた個人だけが豊かな生を享受するのであるうんぬん…と、歯切れのよい言葉で朗々と語る。それが批評であるとは、思わない
  • 17:19  今日か…説得がうまく行けばよいのだけど
  • 17:31  長期休暇中空手の稽古に参加させて頂けるかも…ありがたい
  • 18:32  腰いてえ
  • 18:35  RT @sugaya_keisuke: 実際、人の人生に影響を与える人と、全く与えないような人っていると思う。前者の場合は人によって良い方向にいくことも悪い方向にいくこともあるから難しい。だから人の人生を変えるような影響力を持った人は、必然的に敵も多くなる、難しい。
  • 18:39  医者はそれが商売として成立する条件として顧客=患者をもつ。医者は病を治すために存在する。病が治ることは医者の存在意義が消滅することを意味する。
  • 20:01  稽古の後って文字通り動けなくなってくるね
  • 20:04  医者は意識の上ではもちろん患者の快復をねがう。けれども、無意識的=構造的水準においては患者が治らず患者のままであることをねがう
  • 20:06  予備校の教師も同様である。それが商売である、それによって生計を立てる手段であるところの予備校においては、顧客=浪人生が合格せずに落ち続けることによって利益が増大する
  • 20:06  その好悪如何に関わらず「そういうもの」である。
  • 20:07  あれ、本筋忘れたw
  • 20:10  医者と予備校の教師は難儀な職業である。その理性的=社会的な目的として患者の病気快癒、浪人生の受験合格を目指すものであるけれども、それを商売として、「たずきの道」としてながめるとき、顧客としての患者=浪人生の増大をねがわざるをえない
  • 20:14  あ、めっけ。医者と予備校教師は口では「合格をねがう」と言う。けれども腹の底では「病気が治らず、合格せず金を落とし続けてくれ」と思っている。身体が逆の方向を向いている
  • 20:14  いってることとやってることの不一致。
  • 20:17  楢山節考において、辰平は母親のところへかけよって「ほんとうに雪がふってよかったなあ」という。それは、村の掟というローカル・ルールに照らして、雪は(寒さのために死期が早まって)よい、ということである。
  • 20:18  が、楢山では口を利いてはいけないというルールに反している。雪がふってよい、ということはローカル・ルールを採用する、それに準じてみながふるまうことを前提して「はじめて」いうことができるものであるにも関わらず辰平自身が掟をふみにじっている
  • 20:19  「雪がふって、よい」と腹の底から信じているなら、その前提としての掟を尊重して黙って下山すればよい。「雪が降ってよかったなあ」という発言行為そのものがまさにその内容を否定している
  • 20:22  たしかに、おりん・辰平親子は、まだマシな姥捨てを達成できて「幸福」であるのかもしれないが、その「マシさ」である心的交流は掟の外部で行われていることを見逃してはならない。結局のところ、楢山は閉鎖系として自立していないのである。
  • 20:25  おりんも、辰平も、楢山というゲームのきわめて優良なプレイヤーである。その内的合理性に忠実に準じよう(殉じよう)とふるまう。しかしまさにそうであるがゆえに、メヴィウスの環をたどるように楢山の外側へと抜け出てしまう。
  • 20:28  「雪がほんとうにふったなあ」という辰平のおりんに対する「掟破り」の最後の挨拶は、いわば、恋人同士を演じる役者通しがひそかに交わす台本にない目配せのようなものなのである
  • 20:31  ちなみに、人間が外的な構造に忠実に従おうとすればするほど微細な差異によって反っていよいよ大きく差異化されていくような事態を私は指摘することができる。武道における「型」である。
  • 20:32  ただの突きは、突けば突くほどいよいよむつかしくなる

Powered by twtr2src