Q0018

不安に醒めたイリヤの夜というのは、この今ここの世界を、僕は「敢えて」選んだんだ、ということを覚えておくということだ。


醒めてある、には存在の奥底に無意味さを感じていなければならない。
それはつらいこと。苦しいこと。
だって、例えばセカイ系で言えば、僕が、君を選んだ、ということは詰まるところ、君の死を受け止められないという絶望を遠くに見るということ。
また、誰でも良かったのだ、ということ、君じゃなけりゃダメなんだという理由をついぞ示しえないことに気がつくから。


個と愛は相克する。それを含みこんで、今一度愛と呼ぼう。
個と自己との差は、鏡像段階のモデルで説明できそう。どんなモデルを採用するのであれ、煎じ詰めれば、私の奥底には、意味不明なつまりは無意味な他者性を折り返してしまいこんである、ということを認めること。


だから、流動性を欲望する、「欲望の欲望」=「渇望」を覚える。
ケインズの言う月とは流動性だ。貨幣は流動性ではない。そのコピーだ。
また、挨拶もそう。挨拶とは、私に似た劣化コピー=他者をまなざすこと。
グリーンチーズは月ではなく、人間は交換する生き物だ。