Thu, Sep 15

  • 00:04  16点
  • 07:57  むくり
  • 09:42  RT @kiwipon: こういう、子供じみた行為には、ほんわかさせられますw >> 痛いニュース(ノ∀`) : 自転車のサドルをブロッコリーにすり替えた東大生3人 立件見送り - ライブドアブログ http://t.co/rJw3PzLW
  • 09:42  カリフラワーならよかったのにね
  • 10:03  イマココ L:山梨県南都留郡山中湖村山中
  • 17:38  もう絶叫系はこりごりだよォ…(チャンチャン
  • 17:40  ところで、改めて考えてみると遊園地のアトラクションって全部頭おかしいとおもうんです
  • 17:42  メリーゴーランドはその場をぐるぐる回っているしコーヒーカップはなぜ大きなコーヒーカップに乗り込んで回そうと思ったのかわからないし(元ネタあるのかな?)
  • 17:44  ジェットコースターも観覧車もお化け屋敷もビックリハウス(あんまり最近ないか)もすべてネジが何本か抜けた発想ではないか
  • 17:46  端から見るとどこか滑稽であったりあるいはむしろ哀しげでさえあったりする。回転木馬なんかよく詩でも扱われますよね
  • 17:49  で、こっからが話したいことなのだけれど、その滑稽さや哀しさのような違和感、ある種の遠さが遊園地の非日常性の源泉となっているのではないか
  • 17:51  よくわからないものを価値あるものとしてまなざす視線の操作がどこかにあるわけです
  • 17:51  RT @fujifavoric: 大学はふっ飛ばしたくないけど週末夜の高田馬場駅ロータリーで群れる早大生は正直ふっ飛ばしたいよね
  • 17:55  補助線を入れると、公園にあった地球儀?っていう遊具です。球形のジャングルジムでくるくる回る奴。あれがいつだったか危ない事故が起こるというので一斉に撤去された
  • 18:00  あれは、なんていうか夢が醒めた例ではないか。ぼんやりした価値幻想を上回って実際的な危険性が問題視された。遊園地のアトラクションだって十二分に危ないわけだけれど社会には遊園地をやめさせない強い抗力がある
  • 18:04  もちろんビジネスであるかビジネス以前の社会的で基盤的な資本であるかのちがいはあるわけですけれど。でも公園よりも持続的に視線を操作しつづけるところの何かしらのものがあるんじゃないか
  • 18:07  それがたぶん入口のゲートではないかと思ったんです。あれは単に確実にお金を回収するためだけでなく、それによって「入場客」を形成する契機である
  • 18:10  お腹が減ったので結論を急ぎますと、「遊園地はつねにテーマパークであらざるをえない」ということです。それがフジヤマに並んでいるときに考えていた「遊園地の経営ってたぶん難しいけど何でだろう」という問いの答えです
  • 18:12  で、もしかするとそうした視線の操作技術の必要は遊園地に留まらずレジャー一般にあてはまるのではないか
  • 18:21  その場合「入口の門」は…何になるんだろう?
  • 18:45  人は誰もが寂しがり屋の猿だって今わかったよ
  • 18:54  統治技術としてのスポーツ振興。レジャーのなかでたとえばスキーについて「どうして山を上ったり下ったりしなくちゃいけないの」という疑問を封殺しているのは、この社会に予め内包されている存在持続の欲望にドライヴされた、絶えず己を秩序化せんとする力とまなざしの網の目ではないか
  • 18:55  RT @mikansoup: ミランダ・ジュライいちばんここに似合う人」を読んでいる。こういう"普段使いできる呪文"みたいな文章を書ける人って少ない
  • 18:58  「普段使いできる呪文」!こういう素敵な言い回しを見ると一撃で感染させられてしまいますよね。「呪的な力が宿る言葉」くらい僕は思うな。
  • 19:00  また話が戻るけれど支配される客体はあっても支配する原的な主体はないのです。というかむしろこの世界に不自由な主体をあらしめているのは原的な主体の不在です
  • 19:04  レジャーに価値を与えるものは私たち「みんな」である。分業=官僚社会は遊園地を要請するんだな…
  • 19:08  じゃあ結局レジャーの入口の門は何だろうか?まずは、それを何かしらの意義ある非生産で埋めなければならない「日曜日」だろう
  • 19:09  寄り道すると、だから日曜日よりの使者はスーツを着ているんじゃないかと思う
  • 19:12  だがなぜ余暇(レジャー)が必要なのか?意味の希薄な分業作業は意味にすぐれたその外部を要求するんだろうか?
  • 19:14  じゃあそれだけしておけばよい言わば完全労働なんてものはかつてあったりいまあるのか?
  • 19:17  あ、そうか。そこで弱さと誤りやすさと文学である。人はパンと聖書のみにて生くるにあらず。(自分でいうのもなんだけど秀逸なきがする)
  • 19:23  あ、でも微妙だな…。聖書もやっぱり文学なのかもしれない、その無価値性において。僕はどこまでも価値があると思ってたけど
  • 19:27  聖書は外部を持つのか。一神教は語の厳密な意味で無神論者を肯定しうるのか。スピノザっぽいな…
  • 19:28  ぜんぜんわかんない

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