Thu, Feb 10

  • 13:07  中庸と弁証法は矛盾しないということを書いたんだけど、あれは目的としては「決意と確信」を「鏡の出口」に回収しよう、というか、不可疑性を過誤性にランディングさせようってことだったんだな、とおもう。
  • 13:13  いま、ほんとにいまってことだけど、眠気という身体性をハイデガーよろしく時間に求めようと考えてみる。過誤性は見通せなさであり、いま、だ。で、いまは過去における未来(可塑)であり未来における過去(不可塑)だ。…あと一歩?
  • 13:14  わからん
  • 20:12  探してる人しか「ないもの」はわからないよねトルコ http://ff.im/-xHGMp

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